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松山地方裁判所西条支部 昭和38年(ヨ)47号 判決

申請人 山本保雄 外二名

被申請人 丸住製紙株式会社

主文

申請人等が被申請会社の従業員たる地位を有することを仮りに定める。

被申請人は、

一、申請人山本に対し金四〇万一、五五七円を、同高橋に対し金三八万一、八〇九円を、同岡田に対し金三三万六五七円を、

二、昭和三九年一一月一日以降本案判決確定に至る迄毎月二五日限り、申請人山本に対し一ケ月金二万四〇七円、同高橋に対し一ケ月金一万九、三四〇円、同岡田に対し一ケ月金一万六、七四九円の各割合による金員を、

各支払え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

(当事者双方の申立)

申請人等

主文同旨の裁判を求める。

被申請人

申請人等の申請を却下する。

訴訟費用は申請人等の負担とする。

との裁判を求める

(申請の理由)

第一、当事者

一、被申請人は川之江市川之江町井地八二六番地に本社と工場を、同市金生町下分四二九番地に工場を置き、従業員約六八〇名をもつて新聞用紙、各種印刷用紙、包装用紙等の製造販売を業としている資本金二億円の株式会社である。

二、申請人山本は昭和三一年五月、同高橋は昭和二七年一月、同岡田は昭和三四年四月にいずれも被申請会社に雇傭され、山本は電気部従業員として一ケ月金二万四七〇円を、高橋は製材部従業員として一ケ月金一万九、三四〇円を、岡田は抄紙機部従業員として一ケ月金一万六、七四九円を各毎月二五日限り賃金として支払を受けていたものである。

第二、被保全権利

一、被申請人は昭和三八年三月一一日申請人山本に対し、被申請会社の就業規則第八二条第四項、第一九項に該当する事実があつたとして解雇する旨の意思表示をし、又、同月九日申請人高橋、同岡田に対し同就業規則第八二条第二〇項に該当の事実があつたとして解雇の意思表示をした。

二、然しながら、右解雇の意思表示は次の理由により無効である。

(一) 右解雇は申請人等が丸住製紙労働組合の組合員であること、又は同組合員として正当な活動をしたことの故になされたものであるから不当労働行為である。以下この点を分説する。

(1) 被申請会社の従業員をもつて組織された全国紙パルプ産業労働組合連合会丸住製紙労働組合は、昭和三六年四月に結成され、結成後直ちに無権利と低賃金の劣悪な労働条件から脱すべく、被申請会社に対し基本給日額九八円の賃上要求を含む一四項目の要求をしたが会社側に誠意なく、同月二一日実力行使に入つた。

被申請会社は、従前組合の結成を極度に嫌忌し、組合結成を口にしただけで解雇となつた事例さえあつたが、右のように組合が争議に突入して後も依然として誠意なく、徒に解決を遅延させ、その間に組合を分裂させ、その団結力を弱めて争議を失敗に帰せしめんとの挙に出た。すなわち被申請会社は組合の要求する一四項目中賃上要求を含む四項目のみを組合活動の自由、ユニオンショップ協定その他組合の基本権に関する要求と切離して先づ解決したいと申入れ、後者については殊更に解決を回避せんとしたばかりか、その後団交申入れをも拒否し続ける一方、非組合員等による操業を企図して組合のピケットラインを突破せんと試み、更に妨害排除の仮処分を申請するなどして事態を悪化させ、しかもその間組合員の家庭を訪問するなどして組合の切崩しに乗出した。さらに被申請会社は同年六月一六日以降行われた数回の団交席上において人事に関する事前協議外四点について一旦諒解しておきながら同年七月一二日地方労働委員会によるこの点の斡旋を故意に拒否して事態を混乱させ、同年八月一日には警察官数百名の支援の下に川之江工場に強行入場して製品の搬出を図るなど益々事態の収拾を困難ならしめた。このような事態の中で第二組合が被申請会社の援助の下に結成されたのであつて、御用組合たる第二組合は被申請会社と相協力して第一組合の切崩しを策し、又第二組合の委員長、書記長等は争議中の会社の操業を援助した。かくて争議は第二組合が先づ第一組合よりも早く要求額より低い賃上額で妥結し、一三八日間の実力行使の後同年九月一日に全部終つたが、その時は申請人等の組合(第一組合)の組合員数は右切崩しのため争議開始時に比し約半数に激減してしまつた。

(2) 申請人等の組合活動

(イ) 申請人山本は前記組合結成と同時に組合に加入し、青年婦人部副部長として、争議中は主婦会の結成に力をつくし、オルグ或いは行動隊員として活動し、争議終結後も引続き執行委員に選任され、昭和三七年九月以降は情宣部長として組合ニュース、新聞、伝単の発行、配付の責任者として組合員の意識昂揚のための活動を活発に行つてきた。又、同申請人は被申請会社との団体交渉の席に出て、後記の一時金の差別問題や電気部の三交替制への移行の時期等について申請人等所属組合の立場から活発な発言を行うなどして常々会社から注目されていた。

(ロ) 申請人高橋も当初からの組合員として争議中はピケ要員として活動し、又それ以前の昭和三〇年被申請会社金生工場の皮剥工全員解雇及び二名に対する支配介入の不当労働行為救済事件審理の際地方労働委員会に証人として出頭したことなどもあり、そのため本工登格を二、三回故意に延期されたことがあつた。

(ハ) 申請人岡田も当初からの組合員であり、同申請人の所属する六号機抄紙部の従業員のうち組合結成当初は三八、九名が組合員であつたのに争議中の会社からの切崩しの結果争議終結時には組合員数が九名に減少したという状況の中で最後迄組合に止まつて活動した。又、同申請人は争議中工場長から第一組合を脱退するよう勧誘されたのを拒否し、この件につき被申請会社の組合に対する不当な支配介入であるとして地方労働委員会に救済申立をしたため、工場長から「恩を仇で返した」と云われ、うらまれていた。

(3) 争議解決後における被申請会社の不当労働行為の事例

被申請会社は争議解決後も、第一組合の組合員を、第二組合の組合員及び非組合員と差別して劣悪な待遇をするなど不当労働行為を繰り返し(その詳細次のとおり)、よつて第一組合の弱体化を図つて来た。

(イ) 第一組合の組合活動の制限

被申請会社は第二組合の組合員の組合活動に対してはこれを全く自由に放任しているのに第一組合のそれは極力制限しようとしている。例えば、第二組合の組合長には川之江工場への入構を許可しながら同時に入ろうとした第一組合の組合長に対しては許可せず、相手方を守衛室迄呼出して来て面会させたり、電気部には第一組合員及びその組合役員が多くいるところから、以前は電気部の仕事の一部であつた工場内の巡回を中止させたり、(巡回の機会に組合活動をするとの疑惑のため)昭和三六年一二月当時第一組合の副組合長であつた檜垣幸美が休憩時間中に守衛室で年次有給休暇のことで調査をしていたところ、これが就業時間中の組合活動に該るとして同人を副主任から解任し、しかもその際工場長は、「休憩時間だからといつて勝手に何をしてもよいというわけにはいかん。」と云つて休憩時間中の組合活動をも事実上制約しようとしたり、昭和三七年八月一五日の特定休日に申請人山本と同様出勤しなかつた電気部の組合員等の父兄を会社に呼出し、組合活動をやらせないよう父兄からも説得するようにと申し向けたりした。

(ロ) 試傭工乃至本工登格についての差別待遇

被申請会社と第一、二両組合の間に昭和三六年九月締結された労働協約によつて、「臨時工として一年以上勤続した者は試傭工試験を経て試傭工に登格し、試傭工として一年勤務した者は選衡の上本工に登格する。右に試験及び選衡とは特別の理由のない限り当然に登格することを云う」と規定されていたのにかかわらず、被申請会社はこれに違反して第二組合員のみよりなる数名を特別選抜と称して臨時工から直ちに本工へと登格させ、又、昭和三六年一一月二三日の登格試験で第一組合員のみの十数名を「作業上の和合、協調性を欠く」との不明確な理由で不合格にした。(右不合格者中三名は学科試験の成績が他の者に比しても悪かつたのに、同人等がその後第一組合を脱退して第二組合に加入した後に再度行われた試験では合格したのである。)更に昭和三七年四月の本工登格試験の際、前記協約では面接はしないことになつているのにかかわらず、被申請会社は突然面接を行うこと、そして面接を受けない者は登格資格を放棄したものとみなすことを通告して来た。これは明かに面接の機会を利用して受験者の所属組合を確認した上第一組合の組合員に対しては登格を条件に同組合からの脱退を事実上強要しようと企図したものであると考えざるを得ないのである。

(ハ) 昭和三六年度の夏季一時金の支給額の差別

被申請会社は昭和三六年九月二五日従業員に支給した、夏季一時金の金額について、第二組合員に対しては平均三万三八八円を支給しながら、第一組合員については平均二万七、〇〇〇円しか支給せず、又、電気部の第一組合員に対して昭和三七年度年末一時金支給の際非組合員乃至第二組合員に比し、三、〇〇〇円乃至四、〇〇〇円少い金額しか支給しなかつた。

(ニ) 電気部組合員に対する差別待遇

被申請会社における第一組合員は少数派であるが、電気部のみは申請人山本の解雇迄は一〇名中九名が第一組合員で、しかも副組合長、執行委員等の組合活動家が多くいる部署であり、そのため被申請会社は他の各部署では二交替就業制から三交替制への移行を昭和三七年度中に終了したのにかかわらず、電気部のみは昭和三八年四月まで故意に遅延させた。被申請会社は人員の都合上遅れたものと云うが、電気部へは既に昭和三七年度中に本田某が配転されて来ており、その後申請人山本が解雇された後に、即ち人員の増減がないままで三交替制に移行させたのであるから、人員の不足は口実に過ぎず、被申請会社の真意は第一組合員が多くて活発な組合活動をしている電気部に対する報復にあつたことが明らかである。

(ホ) 石川敏郎に対する社宅入居拒否の事実

第一組合員である石川敏郎は昭和三七年二月七日被申請会社に社宅入居申請を行つたところ、当時二〇戸の空室があり、同人と同時に入居申請をした二名の第二組合員は許可されたのにかかわらず、同人のみは入居を拒否せられた。これは同人が第一組合員であること及び同人の兄が第一組合の執行委員であることを真の理由とした不当労働行為というべきであり、地方労働委員会も同趣旨の裁定を下した。

(ヘ) 配転による差別待遇の事実

被申請会社は第一組合を切崩しするため、人事権を濫用して第一組合員に対し、組合を脱退することを条件に良い部署に配転し、或いは故意に劣悪な部署に配転して第一組合からの脱退を強要する等の不当労働行為を繰返している。

(4) 解雇理由の不合理性

被申請会社の申請人等に対する解雇理由はいずれも就業規則違反ということであるが、被申請会社によつて就業規則違反とされた申請人等の各行為を検討すれば、仮に就業規則に違反するとしてもいずれも極めて軽微であり、これに対し敢えて最も重い懲戒解雇処分をもつて臨む必要はなく、その主たる動機は明らかに申請人等が第一組合員であること又は労働組合の正当な活動を行つたことにあつたと云わざるを得ない。

(イ) 申請人山本の解雇理由について

(A) 昭和三七年八月一五日の出勤拒否について

被申請会社のあげる解雇事由の一つは昭和三七年八月一五日の出勤拒否であるが、この日は所謂特定休日であり、前記争議後においては、特定休日に出勤を要する場合は会社労務課から組合に対して口頭又は文書にて出勤要請を出すことになつており、事実それ以前には労務課から電話で組合に要請があり、これに基いて出勤をしていた。しかるに右の日に限り労務課長から従業員個人に対して出勤するようにとの通告があつたが、これは従来の取極め乃至慣行を一方的に破棄したものであつたから申請人山本は出勤しなかつたのである。従つて右の出勤命令は組合との協定(正式の協定ではないが既に慣行として確立していたと云つてもよい)に違反した無効な業務命令であるからこれを拒否することは就業規則違反にはならない。仮にこれが有効な業務命令であるとしても、同申請人は既にこの件につき就業規則に基き減給並に副主任解任の処分を受けているし、他に出勤拒否した組合員も始末書を提出していないこと、既に七ケ月近くの時日が経過していること等をも斟酌すれば、申請人山本についてのみ右出勤拒否及びこれにつき始末書を提出しないことを理由に解雇するのは明らかに不当である。

(B) 昭和三八年二月一八日の就業時間中の職場離脱について

右も申請人山本を解雇する事由の一つとして挙げられているが、右は同申請人が同日午後五時過職場を離れてテニスを観戦したという内容のものであるところ、その時刻には昼専の勤務者は午後四時半で既に仕事を終え、右申請人等交替勤務者は午後六時の交替時間迄は特別に急な仕事がない限り変電所で待機し、故障があれば現場からの要請により修理を行うという所謂待機時間であつた。以前にはこの時間には運動をしたり洗濯をしたりしたものである。しかも当日は申請人山本等は仕事が終つたので電気部従業員が常用している便所(発電所から二五乃至三〇米離れているだけである)に行き、その帰り道で二、三分立止つてテニスを見たと云うにすぎない。これをもつて就業時間中の職場離脱と云えるかは疑問であり、かりにそうだとしてもこれを理由に始末書の提出を求め、更に解雇の理由とするが如きは被申請会社の良識を疑わざるを得ない。

(C) 次に被申請会社は昭和三八年三月一〇日夜就業時間中に申請人山本が横臥睡眠したとしてこれを解雇事由の一つとする。

しかし、当時は申請人山本の所属する電気部だけが未だ二交替制であり、夜勤者の勤務時間は午後六時から翌朝七時迄であつたが、二交替制の頃は被申請会社では勿論他の製紙会社においても夜勤の従業員が交替で仮眠をとることは事実上放任されていた。しかも電気部の場合、夜勤の勤務内容は一時間おきのメーターの記録と現場からの連絡を受けての故障修理のみであり、故障の連絡は現場から変電所まで呼びに来ることになつていた。この勤務を誠実に履行できる状態で待機している限り、本を読むことも、又体を横にして休むことも許されてよい筈である。当夜申請人山本はメーターの記録を落していないことは勿論、守衛が変電所のドアーを開けたら直ぐ立上つたのである。従つて、睡眠と云うほどのものではなく、時間にしても極めて短時間のものだと云わざるを得ない。被申請会社が電気部の三交替制移行時期を故意に遅らせていた事情をも斟酌すると、これとて就業規則違反とすること自体に疑問があり、もとよりこれを理由に解雇処分する如きは極めて酷である。

尚亦、申請人山本の従来の勤務態度は極めて優秀且つ誠実であつたことを考慮すると、以上の各事実が解雇の理由となると云うことは明らかに不当であると云わねばならない。

(ロ) 申請人岡田、同高橋の解雇理由について

右申請人等に対する解雇理由は同人等が罰金刑に処せられたと云うにある。然し、その罰金の額は申請人岡田につき二〇〇〇円、同高橋につき四、〇〇〇円という軽微なものである。申請人岡田は星川仁少年を殴つたこと、同高橋は高橋山林課長に投石したり同課長の自動車を揺つたことが犯罪事実とされているが、申請人岡田の件は肩を押して座らせたという程度で殴つたものではなく、同高橋の件も投石の事実はなく、車も二、三回揺つただけである。しかも高橋山林課長は争議中公然と組合員宅を訪問して積極的に組合の切崩しを策していたので組合員から強い非難の的となつていた矢先き、当時金生工場に籠城していた第二組合の書記長の脱出を計つて工場前に自動車で現われたので、ピケ中の組合員が抗議するという極度の興奮状態のうちに申請人高橋の乱暴がなされたという特殊な事情がある。

このように右申請人等の所為はもしその事実があつたとしても極めて軽微であり、その所為をもつて従業員としての適格を欠くとか、被申請会社の信用を害したとは考えられないし、更に同申請人等の従前の良好な勤務状態を勘案すると、罰金刑の言渡を受けたことのみをもつて解雇したことは明らかに酷に失すると云わざるを得ない。

(5) 解雇の時期、方法

(イ) 申請人山本に対する解雇については、七ケ月近くも以前の出勤拒否の事実及びテニスの観戦という非常に軽微な事実について昭和三八年三月九日に改めて始末書の提出を命じ、その際被申請会社の某が、もし始末書を提出しなければ重大なことになると申渡したことによつて考えると、被申請会社は既にその時点において、申請人岡田、同高橋の解雇に便乗して申請人山本の解雇を実行しようとする意図を持つていたものと云わざるを得ない。従つて、三月一〇日の仮眠の件も当夜の申請人山本の行動を常に監視し、同人の解雇の口実を作ろうと企図した被申請会社の策略であつたと考えざるを得ないのである。

(ロ) 申請人岡田、高橋についても、被申請会社の代表が昭和三七年九月三日の第一組合との交渉の席上で、「情状酌量ということもあるし、会社としては本人の今後の作業態度をみる。」と云い、同年一〇月一五日にも同趣旨のことを繰り返していた事実があり、又被申請会社の望月工場長が申請人岡田に対して、「君も工場に入つて会社に協力してくれたら事件の方は私が骨を折つてみるから。」と述べていた事実があるところ、これは右申請人等に対する巧妙な組合脱退工作であつたと考えられ、同人等が結局第一組合を脱退しなかつたために解雇を強行したものと云わざるを得ない。

(6) 結論

以上に述べたとおり、被申請会社の第一組合乃至同組合員に対する態度、申請人等の組合活動及びこれに対する被申請会社の態度、解雇理由の不合理性及び解雇の時期、方法等を総合して判断すると、本件申請人等に対する解雇は明らかに不当労働行為であり、無効である。

(二) 仮りに被申請会社に不当労働行為の意思がなかつたとしても、本件解雇の理由となつた申請人等の行為はいずれも事案極めて軽微であり、これに対しては重くとも減給乃至出勤停止程度の処分が相当であつて、申請人等を企業から排除する迄の必要はない。以上の次第で本件解雇は事案の実体にそぐわない極めて酷な処分であるから解雇権の濫用というべく、無効である。

第三、仮処分の必要性

申請人山本は、印刷業をしている父が昭和三八年一月三〇日列車事故に遭つて目下新居浜労災病院に入院中で収入皆無であり、五人の弟妹があるがそのうち就職しているのは一人で他は学生であるから、同申請人が長男として父及び弟妹を養つて行く責任がある。

申請人高橋は妻と小学四年の長男を頭に三人の子供を自己の賃金で養つているのであり、不動産としては二反余りの畑しかない。

申請人岡田は自分の賃金で両親と弟妹を養つている。

以上のとおりであるから、申請の趣旨記載の如き仮処分命令を求めるため、本申請に及んだ。

(被申請人の答弁及び主張)

一、申請人等の主張事実中、第一及び第二、一の各項に記載の事実は認める。

二、申請人等は、本件解雇は申請人等が紙パ労連丸住製紙労働組合(申請人等の所謂第一組合、以下被申請人はこれを旧労と略称する)の組合員であつたが故に、旧労弾圧のためになされた不当労働行為であると主張するが、頗る偏見であつて失当も甚しい。

被申請会社が申請人等を懲戒解雇した経緯と理由は次のとおりである。

(一)  被申請会社は装置工業に属し、原料に化学変化を与えて製品にする迄の一貫連繋作業を行つており、約七〇〇名の従業員を川之江工場と金生工場の各現業部署に二名以上十数名を単位として配置し、集団共同作業に従事せしめているのであるが、電気、薬品等の危険物を操作することと作業の関連性の面から云つて職場の秩序と規律が甚だ重視せられるのである。殊に、被申請会社においては昭和三六年四月旧労との間に賃上問題を中心とする団体交渉が決裂して不幸にも争議を惹起し、一三八日間の長期間紛争を続け、その結果被申請会社は外において製品の販路を失い、内においても各種の経済的損失を招いたばかりでなく、従業員の作業意欲低下を来たし、非常な危機に逢着したので、これが立直しのため争議前より乱れがちであつた職場の秩序、風紀を厳にし、就業規則を履践せしめる必要があつたのである。その上被申請会社では昭和三六年の争議終結後職場の災害が多発し、そのため不名誉にも伊予三島労働基準監督署より特別安全管理指導事業所に指定されて注意を喚起されるほどであつたので、職場の安全のためにも規律を重んずる必要に迫られていた。

(二)  申請人山本は電気部に勤務していた者であるが、

(1) 昭和三七年九月二八日未だ就業時間中である午後五時過頃(就業時間は午後六時迄であつてそれ迄は純然たる勤務時間であり申請人主張の待機時間と云うような規則もなければ慣行もない)無断でその職場である変電所より約四〇米離脱し、且つ、倉庫をもつて変電所より遮られている位置にあるブロツクの塀に上つて場外のテニスを観戦していたところを工場長井川康に発見せられ注意をされたにも拘らず、これに反抗し、被申請会社就業規則第八〇条所定の始末書の提出を再三に亘り求められながらこれを拒み通し、些かも反省の色が見えなかつた。(就業規則第一〇条五項、三六条、六二条一項、八一条一四項参照)

(2) 昭和三八年三月九日被申請会社常務取締役星川正延から申請人山本に対し前項の所為につき重ねて注意を与えると共に、未提出のままとなつていた始末書の提出を求めたが、同申請人は依然これに応ぜず、しかもその当夜の夜勤中である三月一〇日午前二時頃より午前四時頃迄の間勤務中でありながら横臥睡眠してその職務を怠り、職場規律を紊した。かかる行動は事故発生又は発生した事故の拡大の要因ともなり、危険な結果を招く虞れがあるものである。(就業規則第三六条、第六二条一項、第八一条一四項参照)なお、申請人は夜間の仮眠が事実上認められていたように主張するが、業界一般を通じてかかる事実はなく、被申請会社では過去にも夜勤中の睡眠に対しては訓戒、始末書提出の処分を行つて来たのである。

(3) 昭和三七年八月一六日(旧盆であつて就業規則で特定休日となつている)被申請会社では工場の運転休止を利用して電気関係設備の故障の有無を点検、修理するため、電気部の従業員に対して労働基準法第三六条による労使協定に基き休日出勤を命じた。(申請人は休日出勤には組合の承認を要すると主張するが、かかる協定はなく又予め組合の承認を求めた事例もない。)右休日出勤を命ずるに際しては、已むを得ない事情のある者がその旨申出れば出勤を免除する旨申し伝えており、これに従つて出勤を免除した者もあつたのに、申請人山本は事前に何らの申出もせず、且つ何ら正当な理由がないのに当日無断欠勤した。このため当日の作業計画に手違いを生じて予定どおりの作業が行えなかつた。被申請会社はこの業務命令違反行為について就業規則第八〇条、八一条に基き、申請人山本に始末書の提出を求めたが応じないので、同年九月五日同人を副主任解任及び減給の処分に付した。然し同人は遂に始末書を提出せず、何ら改悛するところがなかつた。

以上のように申請人山本は右(3)の事実によつても反省せずに(1)の違反を重ね、更に注意と説示を受けたその当夜に(2)の違反をするという挙に出たものである。これは全く規律無視の無軌道行為であつて、しかも同人に自省の情がないから、就業規則第八二条第四項、第一九項により懲戒解雇処分としたものである。

(三)  申請人岡田は昭和三六年の争議が行われていた頃のこと、被申請会社社宅の屋上で星川仁(一一才)が写生しているのを手伝つていたところ、同人の父が被申請会社輸送課長の星川律義であることを聞知するや、他に何の理由もないのに同人を階段入口付近に連れ込み、肩を押えてござの上に座らせた上で背部、肩、腹部等を数回殴打するという暴行を加えた。この事実により同申請人は昭和三七年一二月三日松山地方裁判所西条支部において暴行罪として罰金二〇〇〇円の刑に処せられその判決はそのまま確定した。

(四)  申請人高橋は昭和三六年の争議中、被申請会社の山林課長高橋厚美が金生工場内で籠城中病気になつた従業員を引取るため乗用車で赴き下車したところをピケ隊のため押されて付近の溝に落ちて佇立していた時、同人をめがけて直径約三糎の石を投げつけ、同人の前額部に命中させ、又、輸送課長兼運転手の星川律義が乗つたまま停車していた自動車をひつくり返すから皆来い、と云つててピケ隊員を呼び寄せ、この者等と一緒に右自動車の右側を持ち上げ数回に亘り上下にゆさぶり、車内の星川の身体を車体の内側に激突させるという暴行を加えた。そのため同申請人も松山地方裁判所西条支部において昭和三七年一二月三日暴行、暴力行為等処罰に関する法律違反によつて罰金四、〇〇〇円に処せられ、その判決は確定した。

申請人岡田、同高橋の右各処罰の事実は暫く被申請会社に判明せず、翌三八年二月中旬になつて始めて判決のあつたことと犯罪事実の内容を知つたので、被申請会社では右両名の処分につき慎重に審議を重ねたのであるが、申請人岡田については、輸送課長の子というだけの理由で罪のない子供を殴打するというような非常識で狂暴な性格は危険であるばかりでなく、被申請会社の従業員たる品位、信用を傷つけ、会社との信頼関係を自ら破るものであると判断し、併せて普段の勤務振りが不良であることをも考慮して就業規則第八二条第二〇項によつて懲戒解雇に踏切ることとした。又、申請人高橋についても、同人の前記のような狂暴な行動は労働組合法第一条で厳禁しているところであり、上司たる課長に対しての暴行である点、又同人は平素から同僚との協和に欠けるところがあり、勤務状態も良好でなかつたことも考慮し、雇傭契約上の信頼関係を到底維持し得ないと判断したので、同じく就業規則第八二条第二〇項によつて懲戒解雇処分にすることとした。なお、同申請人については、同人は被申請会社に入社する前である昭和一二年頃殺人未遂罪で懲役五年の実刑に処せられたことがあり、これを秘匿して入社していたことが前記暴行等事件の公判中に判明したので、本件解雇処分を決定する際に右事実をも直接の解雇理由としてではないが情状として考慮した。

よつて、被申請会社は昭和三八年二月一三日三島労働基準監督署に対し、右申請人両名に対する解雇予告手当除外認定の申請を行い、同年三月九日除外認定の通知を受けたので、同日両名に対し解雇を通告した次第である。

三、申請人は、被申請会社が申請人等所属の旧労(申請人等の云う第一組合)を差別待遇したと主張するが、かかる事実は全くない。

先ず、申請人高橋は昭和三八年三月一日他の五名の者と共に旧労を脱退した旨を会社に通告しているのであつて、本件解雇処分時には旧労の組合員ではなかつた。それにも拘らず解雇処分を行つたのであつて、この点から観るも旧労組合員である故に差別を設けたものでないことの一証左というべきであるが、その外若干の点について述べると、

(一)  臨時工の登格試験について

旧労と被申請会社との間には臨時工の登格につき協定が成立しており(乙一五号証の一、二)、昭和三六年九月一六日施行の登格試験は右協定に基く当然のものであつたにかかわらず、旧労は全員を合格せしめよと主張して自己の所属組合員中の受験有資格者に受験を拒否させ、以て会社の与えた平等な受験資格を一方的に放棄させ、会社との協定に違反した(乙第一六号証の二)。被申請会社としては、登格試験は協定どおり受験資格者全員に公平に行わねばならないため、旧労を説得して改めて覚書を取交した上(乙第一五号証の三)受験せしめたのである。

(二)  前記のように被申請会社では争議終結後災害が多発したため、安全衛生管理に関し根本的に機構を改め管理を強化する措置を講じた。即ち安全衛生委員会規則を改正し、従業員互選の職場代表者と組合の参加を求めて毎月委員会を開催し、且つ家族ぐるみの向上運動を展開した。大多数の従業員は会社の意図を理解し協力してくれたが、旧労は第一回の会議に出席した以外は現在迄全然出席しないのみか、安全衛生運動には協力するなと従業員に呼びかけ(乙第一四号証)、職場を混乱させ、安全推進運動を妨害している。

(三)  被申請会社は、従業員の就業規則違反行為に対しては旧労、新労のいずれの組合員又はその他の職員であるかを問わず厳重に始末書の提出を求め、それぞれ訓戒又は懲戒を行つているものである。その他賃金、賞与、協約等いずれも旧、新労組を問わず平等に扱つており、些かも差別をしていない。

(四)  被申請会社においては、かつて旧労に所属する従業員の上田幾喜が暴行罪で罰金三、〇〇〇円に処せられたので昭和三七年九月一日同人を解雇処分にした事実がある。申請人岡田、同高橋の解雇は右上田の場合を前例として勘案の上行つたものであり、処分は前後公平にやつている。

なお、被申請会社から右申請人両名に対し、たとえ処罰があつても解雇はしない旨言明した事実は毫もない。右上田の前例があるのだからかかる言明をする筈がないのである。

四、以上の次第により、申請人等の不当労働行為の主張は牽強付会の弁であることが明らかであり、又、本件解雇が解雇権の濫用であるとの主張も明らかに失当である。

(被申請人の主張に対する申請人等の反論)

一、被申請会社がその主張のような機構の装置工業であること及び特別安全指導事業所の指定を受けていたことは認めるが、職場の秩序、規律が重視されるのは近代企業に一般の事柄で、被申請会社のみの特殊な条件ではない。

二、(1) 申請人高橋に殺人未遂の前科があることは認めるが、その事実は同人の解雇処分当時未だ被申請会社に知れていなかつたのであり、従つて解雇の理由とはされていない。もし被申請会社が右前科の点乃至は経歴詐称の点を考慮して解雇を決めたのであれば、これを解雇通知書に掲記すべき筈であるところ、それがなかつたのであるから、かかる事由は全然考慮されていなかつたものと考える外はない。解雇処分が不当労働行為意思によるものであるか否かの判断は処分当時を基準にしてなすのが当然であり、爾後に追加された理由まで斟酌して判断すべきでないから、被申請人が追加主張して来た前科及びその秘匿、勤務状態不良等の事由は本件解雇の効力判断の資料からは除外さるべきである。

(2) 同申請人が被申請会社に対し第一組合脱退の通告をしたことは認める。然し同人から組合に対する脱退の手続がなされた事実はなく、従つて同人は解雇当時依然として第一組合員であつた。

三、上田幾善の解雇の事実は認めるが、同人は当時退職の自発的意思があつたので解雇を争わなかつたものである。本件の前例となるものではない。

(証拠省略)

理由

(被保全権利)

一、申請人等が被申請会社の従業員であつたこと、被申請会社が申請人山本に対し昭和三八年三月一一日、申請人高橋、同岡田に対し同月九日いずれも懲戒解雇を申渡したことは当事者間に争いがない。

二、申請人等は、右解雇処分は申請人等が労働組合の組合員であること又は労働組合の正当な活動をなしたことの故をもつてなされた不利益処分であるから不当労働行為として無効であり、仮に然らずとするも解雇権の濫用として無効である旨主張するのであるが、その双方に共通する理由として、本件解雇は被申請会社の就業規則に基く懲戒処分としてなされた所謂懲戒解雇であるところ、申請人等には被申請会社が挙げるような就業規則違反がなく、仮にあつたとしても極めて軽微で懲戒解雇の理由となすに足りない旨主張するので、先づこの点から判断することとする。

(一)  申請人山本について

成立に争いない甲第一号証によると、申請人山本の解雇理由は被申請人主張のとおり、(イ)出勤拒否の件につき副主任解任及び減給の処分に付されたが改悛の情なく、(ロ)就業時間中みだりに職場を離れ、休憩と称して塀の上からテニスを観戦し、工場長に発見され注意をされたのに反抗し、始末書提出を指示されたが応ぜず、その後常務より更に注意され始末書提出を求められたが反省の色なく拒否し、(ハ)夜勤中に横臥睡眠したとの各事実によるものであり、右事実は就業規則第八二条第四項、第一九項に該当すると判断せられたものであることが認められ、成立に争いない乙第四号証によると、被申請会社の就業規則第八二条は、「左の各号の一に該当する場合は懲戒解雇する。」として、その第四号に、「業務上の指示命令に不当に反抗し職場の秩序をみだした者」と、第一九号に「訓戒、懲戒数回に及ぶも、なお改悛の見込なき者」といずれも挙示されていることが認められる。

(1) 出勤拒否の件について

成立に争いない甲第一〇号証の一、乙第五号証、証人篠原宏、星川武久、星川成行、檜垣幸美(第一回)、松本良孝、井原巧、山本義夫の各証言を総合すると、被申請会社においては従業員の休日として通常の休日の外、旧盆即ち八月一五日を含む年間計八日を特定休日と称して一斉休日に充てているが、機械の運転休止中にその点検、補修をなす必要があるので、会社と労働組合との協定により、会社が必要と認めた場合においては特定の従業員に対し特定休日に出勤すべき旨を命ずることができることとなつていること、昭和三七年八月一五日の特定休日に際し、その前日被申請会社の原動課長が申請人山本を含む電気部の従業員六名に対し、翌日出勤すべき旨を直接口頭で命じたところ、申請人山本は、多分出勤できないと思う旨答え、その理由を問われても曖昧な返事しかせず、出勤するかどうかの確答をしないまま翌日の特定休日に出勤しなかつたことが認められる。そして右は休日出勤拒否として後記の通り就業規則違反であるところ、申請人山本は、出勤しなかつた理由として、従来会社と労働組合との間に、特定休日の出勤要請は組合を通じてなすとの協約乃至は慣行があつたのに、この日に限つて組合への連絡がなかつたからである旨主張するが、被申請会社と申請人等所属の労働組合(以下第一組合と略称する)との間にそのような協約が結ばれていたことの疎明はなく、又証人黒田正明(第一、二回)、檜垣幸美(第一回)、山本義夫の各証言によれば、第一組合より被申請会社に対し、特定休日の出勤命令は組合に対する協力要請の形でして貰いたい旨の要望をしたことがあり、且つ本件問題の特定休日より以前の特定休日には被申請会社より第一組合に対しその所属組合員に出勤命令を出すについての連絡があつたこともあるとの事実が認められるが、これをもつては申請人主張の如き労働協約と同視するに足る職場慣行が成立していたものとは未だ認め難く、従つて、申請人山本に対する前記出勤命令が違法、無効のものであつたとは認められない。そして証人黒田正明(第二回)、檜垣幸美(第二回)、井原巧の各証言及び申請人山本本人尋問の結果によれば、申請人山本が右出勤命令に従わなかつた理由は、被申請会社が第一組合の要望に反して同組合に対する協力要請をしなかつたことに対する不満にあつたかと推察されるが、かかる事由は未だ前記休日勤務拒否を正当化する事由とはいえず、業務命令違反の責を免れない。

(2) テニス観戦の件について

証人大西英司、井川康、檜垣幸美(第一回)の各証言及び申請人山本本人尋問の結果によると、昭和三七年九月二八日午後五時過頃申請人山本及び同じく電気部勤務の大西英司の両名は勤務時間中であるのに、勤務場所の変電所から三、四〇米離れた便所へ用便に行つた帰りに、便所横の高さ約二米のブロツク塀に上つて場外で行われていたテニスのゲームを二、三分間眺めていたところ、巡回中の工場長に発見せられ、その場で注意を受けたことが認められる。そして右は正当の理由なく職場を離脱したものとして後記の通り就業規則違反であるというべきところ、申請人山本はその時間は就業時間中とは云つても所謂待機時間であつたと主張し、証人檜垣幸美(第一、二回)、大西英司、井原巧、山本義夫、田中勝久、松本良孝の各証言を総合すると、当時の電気部の勤務の実態は、先ず従業員に交替勤務者と昼専者の別があり、交替勤務者の昼勤の場合の勤務時間は午後六時迄、昼専者のそれは午後四時半迄であつて、交替勤務者と昼専者は午後四時半迄は共同して作業にあたるが、同時刻以後の交替勤務者の仕事としては、修理等の急を要する仕事がある場合はそれを続けるが、そうでない時は変電所内に居て故障等が発生して現場より呼出が来るのを待機することになつていたこと、従つてこの時間は比較的暇であるから、短時間変電所を離れていても勤務に支障を生ずることは殆んどなく、従来電気部従業員はこの時間を利用して私物の洗濯をしたり、時によれば運動をしたりしていたものであることが一応認められる。しかし他面そのような時間利用法を会社が知りながら黙認していたとか、一つの職場慣行として確立していたとか認むべき疎明がないので、右のような事情の存在は単に情状として考慮されるに止まり、未だ前示「正当の理由なき」職場離脱であるとの判断を左右し得るものではない。

(3) 横臥睡眠の件について

証人森実幸男の証言によると、申請人山本は昭和三八年三月九日から一〇日にかけての夜変電室にて一人で勤務についていたのであるが、一〇日午前二時過ぎ頃守衛の森実幸男が巡回にて変電室を覗いてみると、申請人山本が木の長椅子の上で毛布を被つて横臥の姿勢で居眠りしていたが、休憩時間を寝過ごしているのだろうと思つてそのまま見過したこと、その後午前四時に同人が巡回した時にも申請人山本は同様の姿勢で眠つているようだつたので、これに注意を与えるため部屋に入ろうとする申請人山本が戸の開く音に眼を覚まして起き上つたこと、の各事実を認めることができる。そして右事実からして申請人山本が二時から四時までの間一度も目をさまさなかつたかどうかというようなことまでは判らないけれども、とにかく相当時間横臥睡眠したことが疎明されるから、勤務時間中の横臥睡眠を禁ずる後記就業規則の違反があつたものといわなければならない。

(4) 前記乙第四号証によると被申請会社の就業規則第八一条は「左の各号の一に該当する場合は反則の程度軽重により譴責、出勤停止、昇給停止又は減給に処する」として、その第五号に「正当の理由なく早出、残業、臨時呼出又は休日勤務に応じないとき」と、その第一四号に「就業時間中、みだりに他の作業場、若しくは禁止場所に出入し許可なく自己の職場を離れ、又は横臥し、若しくは、睡眠したとき」と各規定していることが認められる。そして申請人山本の上記認定の所為中、(1)は右第五号に、(2)(3)は右第一四号に各該当するものというべきである。

すなわち申請人山本の右(1)(2)(3)の所為はこれを個別的に観察する限り、いずれも就業規則違反ではあるが、懲戒解雇の理由とはならず、単に譴責、出勤停止、昇給停止又は減給の処分を課し得るに過ぎないものである。

(5) 然らば右のような就業規則違反が三回に亘り累行されたことを総体的に観察し、さらに被申請人主張の始末書提出を拒否したことなどの事情をもこれに加味して考えるときは、申請人山本に対し前記就業規則第八二条第一九号の「訓戒、懲戒数回に及ぶもなお改悛の見込なき者」との条項を適用し、これに懲戒解雇の処分を課し得るものだろうか。以下この点について検討する。

(イ) 申請人山本が前記(1)の休日出勤拒否の件で副主任解任及び減給の処分を受けたこと、及び前記(2)のテニス観戦の件につき始末書の提出を求められたことは当事者間に争がない。(始末書の提出は懲戒の一種たる譴責の方法として求められることになつている。就業規則八〇条ヽヽヽヽヽ乙第四号証)

そして以上の事実によると、申請人山本は前記(3)の横臥睡眠の問題を起す以前に懲戒を受けているがそれは単に二回だけだということになる。しかも右(2)のテニス観戦の件は、さきに認定したように一日の主要な仕事を終つた比較的暇な時に勤務場所から三、四〇米離れた便所へ用便に行き、その帰途二、三分テニスを観戦したという極めて軽微な事犯であり、被申請会社においても最も軽い譴責処分に付し、始末書の提出を求めたに過ぎないものであるから、懲戒らしい懲戒といえば前記副主任解任及び減給の処分だけしかないので、実質的にみて、申請人山本につき「懲戒数回に及び」という事由があるかどうかかなり疑わしい。

(ロ) 申請人山本が度々訓戒を受けたという疎明もない。もともと右(1)の犯則から(3)の横臥睡眠の問題の起るまでの間(この間約七ケ月)に、判つている犯則といえば右テニス観戦の件だけであり、他に就業規則違反その他の不都合があつたとの疎明はなく、従つて訓戒しようにも訓戒の題目もないわけである。ただ証人星川正延、同井川康、同篠原宏の各証言及び申請人山本本人尋問の結果によれば、申請人山本は昭和三八年三月九日被申請会社の常務取締役の星川正延に呼ばれて注意を受け、テニス観戦の件につきまだ提出してなかつた始末書を提出するよう要求されたこと、その他にも一度位は上司から始末書を提出するよう催促されたことがあることを認めることができる。しかし結局これは前記(1)(2)の案件による始末書提出の催促であつて新たな不都合があつたための注意訓戒などではなく、いささか問題の性質がちがうように思われ、これを以て「訓戒数回に及ぶ」という要件を実質的にみたしているかどうかすこぶる疑わしい。

(ハ) 次に懲戒訓戒の回数はともかく、申請人山本が「改悛の見込なき者」といえるであろうか。およそ懲戒解雇なるものは従業員に不名誉の烙印を押して企業よりこれを排除するものであるから、その解釈運用は慎重でなければならないが、特に「改悛の見込」があるかどうかは程度問題であり、又誠実責任感といつたような従業員の人格面に対する評価の問題が含まれており見る人の主観により差違を生ずる虞もあるので、経営者の好悪などにより左右されることのないよう一層慎重でなければならず、懲戒訓戒が何回も行われるにかかわらず同じような就業規則違反を性こりもなく繰返すといつたような、客観的にみても解雇を相当とする事由が認められる場合にはじめてその処分を行うべきものである。若しそれ程はつきりした事由もなく、経営者の主観によつて「改悛の見込なし」と断定し、処分を行うことができるとなれば従業員の雇傭契約上の権利を不当に害する虞があり妥当でない。今この見地に立つて本件をみるときは、前記(1)の休日出勤拒否と(3)の横臥睡眠の件との間には約七ケ月の日時が経過しており、その間には前記(2)のテニス観戦というごく軽微な犯則があるだけで他に何等の就業規則違反もみられず、しかも右(1)(2)(3)の違反行為は夫々違反の態様を異にし、同一種類の違反を繰り返したものではない。以上の次第であるから上記認定の(1)(2)(3)の就業規則違反だけでは未だ「改悛の見込なき者」といい得る程度には達していないものというべきである。ところで被申請人は、(1)の休日出勤拒否の件につき申請人山本に対し前記減給等の処分に併せて始末書の提出を求めたが応ぜず、(2)のテニス観戦の件につき始末書提出を求めたがこれにも応ぜず、昭和三八年三月九日被申請会社の常務取締役星川正延から右テニス観戦の件につき注意を受けかつ始末書提出を求められたがこれに応ぜず、しかもその当夜(3)の横臥睡眠の犯則を犯したものである旨を主張し、これが「右改悛の見込なきこと」の有力な徴表であるとする。そして右事実はいずれも当事者間に争がないけれども、申請人山本本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、申請人山本が(1)の休日出勤拒否の件につき始末書を提出しなかつたのは、同人の考としては、特定休日の出勤要請は組合を通じてなすべきものであり、その順序をふまなかつたことに不満があつたからであり、(2)のテニス観戦の件につき始末書提出に応じなかつたのは、いわゆる待機時間中の軽微な犯則であり普通なら訓戒だけですむのに自分にだけ始末書を要求されるのは納得できない、との考によるものである、ことが一応認められ、(その考が法的に正当でないことは前に述べた通りであるけれども、)その考の当否は別として、右の始末書提出に応じなかつたことがこのような特別の事情によるものである以上、その特殊事例を一般化して申請人山本が普通の業務命令に対しても従順でないものと断ずることは妥当でなく、現に(1)(2)の犯則による懲戒後それと同一又は類似の類型の就業規則違反を犯したとの疎明はなく、この点からしても普通の業務命令には従順であつたと一応考えられ改悛の見込がないものとはいえないわけである。(平たく言えば始末書のことでは妙にこだわりができて従順になれないが、日常の業務の上ではそんなことはなく普通に勤務しているという風に考えられるわけである。)

なお、被申請人は右始末書の提出を度々要求したように言うけれども、申請人山本本人尋問の結果によると、当初始末書提出を要求された時と、前記昭和三八年三月九日星川常務から提出を要求された時との中間では、一回位しか要求されていないことが一応認められ、又(1)の件については既に減給等のより強い懲戒処分を行つているのに何故始末書提出にそれ程こだわらねばならぬのか理解できないものである。

次に右のように昭和三八年三月九日に星川常務から注意されたその当夜さらに(3)の横臥睡眠の犯則を犯したとの点であるが、これは見方によつてはいかにもつらあてがましく反省心がないといえるかもしれないが、証人檜垣幸美(第一、二回)同大西英司、同井原巧、同山本義夫、同田中勝久、同松本良孝の各証言に申請人山本本人尋問の結果を総合すると、電気部の夜間勤務は通常二人一組になつて勤務し、変電室に詰めていて現場に故障が発生して人が呼びに来た場合その修理に赴くことと、それ以外は変電室の諸計器の示度を一時間置きに記録することが仕事の内容であること、従つて修理の仕事がない時は変電室内で本を読んだりしていても記録を忘れない限り差支えないこと、そんな状況であつたから従来二人で夜勤をしている際に交替で仮眠をとることもあつたこと、当時は二交替制であつたがその後間もなく三交替制となつたこと、当日は相勤務者が欠勤し申請人山本が一人で勤務していたこと、などの事実を一応認めることができる。以上のような事情であるから、申請人山本としても、二交替であるため身体にこたえたこと、一人きりで話相手もなかつたこと、従来の勤務の実情が右のようであつたこと、少し位寝ても万一にも支障を生ずることがあるまいと考えたこと(実際にも支障は生じていない)などからつい横になつて寝込んだものとみてやることもできるのであり、そのこと自体は緊張を欠いただらしない行為で責めらるべきであるけれども、これを以て上司に対するつら当てにやつたとか、改悛の見込がないとかいう風にきめつけるのは間違であると思われる。

最後に被申請人側の証人の中には、申請人山本の平素の勤務態度を非難する者が多く(証人篠原宏、同井川康、同星川武久、同星川正延、同松本良孝、同森実幸男等)、若し、申請人山本に対し、いちじるしく誠実さがないとか、責任感が薄いとかいつたような消極的評価が可能であるならば、懲戒事犯として表面に出て来た事実はたとえ些細であり回数が少くても、「改悛の見込がない」といえるようになるかもしれない。しかし前述したようにかかる評価は見る人の主観によつてちがう虞があり、現に申請人側の証人は右被申請人側の証人とは全くちがつた評価をしているので、そのようなことも考え合せ、右被申請人側の証言のみをたやすく信用できず、この点の疎明も十分でないといわなければならない。

以上の次第で、申請人山本が「訓戒、懲戒数回に及ぶも、なお改悛の見込なき者」であると断ずるには、未だ客観的事実による裏付が不十分であり、結局右条項には一応該当しないものというべきである。

(6) 申請人山本に対する懲戒解雇は、前述の通り被申請会社の就業規則第八二条の第四号及び第一九号を適用して行われたものであるので、次に右第四号の「業務上の指示命令に不当に反抗し職場の秩序をみだした者」との規定に該当するような行為があつたかどうかを検討する。

(イ) 前認定の事実中(2)のテニス観戦(3)の横臥睡眠が右第四号に該当しないことは明らかである。

(ロ) 成立に争のない甲第二号証によると、被申請会社は前記(1)の出勤拒否の件に対し就業規則第八一条第五号及び第八二条第四号を適用し(甲第二号証に第五項第四項等と記載してあるのは第五号第四号等のあやまりである)、副主任解任及び減給の処分を行つていることが認められ、又被申請人は、申請人山本の右出勤拒否により、当日の作業計画に手違を生じて予定どおり作業が行えなかつた旨の主張もしているので、この点から考えると、被申請人は右出勤拒否が業務上の指示命令に対する不当な反抗であり、作業計画に手違を生じ、予定どおり作業が行えなかつたことが職場の秩序をみだしたことにあたるものとの見解を持つているように思われる。

しかし申請人山本は昭和三七年八月一五日の特定休日の出勤を口頭で命ぜられ、多分出勤できまいと思う旨答え、その理由を問われても曖昧な返事しかせず、結局出勤するかしないかを確定しないまま翌日の特定休日に出勤しなかつた、というだけであるから、業務上の指示命令に「反抗した」とまではいえないのであり、又申請人山本本人尋問の結果によると、右特定休日の出勤命令は、申請人山本の外越智、山本(義夫)、井原、大西、檜垣の五名に対し為されたが、大西、檜垣は理由を言つて休み、他の三名は申請人山本同様無断で休んだことが認められ、このように全員が休んだということから、予定の作業が行えなかつたことも当然のこととして推認できるが、それはたまたま全員が出勤しなかつたことによるもので、申請人山本が出勤命令を受けた他の者と共謀し、或はこれを教唆してそのような事態を惹起したとの疎明がないかぎり(かかる疎明はない)、未だ申請人山本の行為により予定の作業ができなかつたとはいえないものというべきである。いずれにしても申請人山本の特定休日出勤拒否の件は就業規則第八二条第四号に該当しないものである。

(ハ) なお申請人山本が始末書提出の要求に応じなかつたことが右第八二条第四号に該当するかどうかにつき一言すると、かかる要求は「業務上」の指示命令とは解せられないし、始末書提出に応じなかつたため職場の秩序がみだれたという具体的結果も出ていない(その疎明がない)ので、勿論右条項には該当しないものといわなければならない。

以上の次第で申請人山本に対する本件懲戒解雇は、懲戒解雇事由を規定した就業規則のどの条項にも該当せず、結局無効であるといわなければならない。

(二)  申請人岡田について

成立に争いない甲第一二号証の一、同第一四号証、乙第一九号証の一、二を総合すると、申請人岡田は昭和三六年八月八日午前九時半頃川之江市金生町にある被申請会社社宅の屋上で、風景を写生していた星川仁(当時一一才)を手伝つてやつているうちに、同人の住所氏名を問い訊して被申請会社輸送課長星川律義の息子であることを知るや、同人の肩を押えてござの上に座らせた上で、その背部、肩、腹部等を素手で数回叩いたことを一応認めるに足り、申請人岡田本人尋問の結果は右認定を覆えすに足らない。そうして、同申請人は右暴行事件のため昭和三七年一二月三日当庁において罰金二〇〇〇円の有罪判決を受け、該判決がそのまま確定したことは当事者間に争がない。

申請人岡田は、右事実が就業規則第八二条第二〇号「刑法その他の法令に規定する犯罪に該当する行為のあつた者」に該当するとして本件懲戒解雇の言渡を受けたものであるからその当否を考えるに、同申請人の前記行為が形式上右規定に該当することは疑いがない。然し、前記のように懲戒解雇はその従業員を失職させるばかりでなく、これに不名誉の烙印を押し、その者が他の企業に雇傭されるについてもその経歴がついて廻り不利益を受ける虞があるなど、重大な結果を招来するものであるから、刑法その他の法令に規定する犯罪に該当する行為があつた場合でも事案の軽重、情状の如何を問わず常に懲戒解雇をなすことができ、それをなすか否かは一にかかつて被申請会社の自由裁量に任されていると解すべきではなく、被申請会社としては事案の性質、軽重に鑑みて客観的に解雇が相当と認められる場合にのみ懲戒解雇の処分を行い得るものと解すべきである。然らざれば、極端な場合、無灯火で自転車に乗つて一、〇〇〇円の罰金に処せられても会社の意向次第では懲戒解雇処分に付されることとなる。又右第八二条第二〇号は刑に処せられたことを必要とせず、前記認定程度の暴行は日常しばしば起ることであり、たいてい警察問題にもならず黙過されるが、さような場合にも懲戒解雇にしてよいことになる。そしてその不当なることは明白である。そうして犯罪行為が懲戒解雇に価いする場合としては、懲戒解雇の目的に照し、当該犯罪が職務に関連性を有するが故に会社との雇傭契約上の信頼関係が破壊されたものと評価すべき場合、犯罪の性質、態様によつて会社の名誉、体面が著しく傷つけられ若しくは職場の秩序がみだされたと認むべき場合等をあげることができる。乙第四号証によると、被申請会社の就業規則第八〇条は懲戒の種類を規定し、その第五項には「懲戒に該当する行為があつた者でも、反則軽微であるか又は情状酌量の余地があり、或は改悛の情明かであると認めた場合には訓戒に止めることがある。」と規定され、又懲戒解雇に関する第八二条但書には、「但し情状により出勤停止又は減給に止めることがある」と規定されているのであるが、これ等の規定は右趣旨によつてこれを解釈運用すべく、その適用を相当とする情状があるにかかわらず、これを適用せず、あえて懲戒解雇を行う自由はないものと解すべきである。そこで申請人岡田の行為を考えるに、なるほど罪もない子供を理由もなく殴打したことは一応悪質というべきであるが、その方法は素手で数回叩いたという単純な暴行で、事案としては比較的軽微なものである。(従つて課せられた罰金も比較的少額である。)又同申請人の職務に直接関係のある犯罪でもない、さらに、事案の性質程度から云つて被申請会社の信用、体面を傷つけたというに足るほどのものとも考えられない。被申請人は右暴行が被申請会社の課長星川律義の子供であることを知つてなされた点を重視するようであり、この点は被申請人の主張にある程度首肯すべきものがあるが、反面右暴行は、後記のように第一組合と被申請会社との間の長い激しい争議中に為された事案であつて、右星川律義が被申請会社の職制として当時組合員の反感を買つていたことが、若年で思慮の十分でなかつた申請人岡田(同人は当時二〇年九月)をかつてつい右暴行をなすに至らせたものかと推測されるのである。そしてかかる事情は特に同情すべき事情ではないにしても、少くとも本件暴行は労使間の一時的の特殊な関係を背景とする若年者の行為であつて、それだけに平常の労使関係における双方の信頼関係には影響の弱いものと云うことができないわけではない。事実、同申請人の性格や日頃の勤務態度について本件に現われた各証言(証人黒田正明、石川祝、篠原宏、石川昇平、井川康等)を総合すると、同申請人は動作緩漫であるとの難点があげられているが、その性質、行動が粗暴であるという事実は全くなく、むしろ温和な人物であるというのが殆んど一致した証言である。又、右暴行の時より本件解雇迄約一年七ケ月を経過しているが、その間同申請人に不都合な行為があつて訓戒や懲戒の対象となつた如き事実の疎明もない。

してみると、申請人岡田に対し右暴行を理由として懲戒処分なすことが必要であつたとしても、同人に対しては就業規則第八二条但書を適用して出勤停止又は減給の軽い処分をなすべきであつて、直ちに懲戒解雇に処したことは誤りであつたと云わざるを得ず、従つて同申請人に対する本件解雇の言渡は無効であると一応判断すべきものである。

(三)  申請人高橋について

成立に争いない甲第一三号証の一、乙第一八号証によると、申請人高橋は昭和三六年八月五日午後五時頃当時第一組合がストライキを実施中で被申請会社金生工場の門前で同僚の組合員多数と共にピケに立つていたところ、被申請会社山林課長の高橋厚美が乗用車で乗りつけて工場内に入るべく車より降りたが、ピケ隊に押されて付近の溝に落ちそこで佇立していた時、申請人高橋が高橋厚美に向つて直径三センチ位の小石を投げ、それが同人の前額部にあたつたこと、更に同申請人は右と同一機会に被申請会社輸送課長兼運転手の星川律義が中に乗つて停車していた自動車に向い、「自動車をひつくりかえすから皆来い」と云つて、集まつたピケ隊員数人と共同し、掛声と共に自動車を持ち上げて数回上下にゆさぶり、そのため星川律義の身体を車体内側に衝突させたことを一応認めることができる。申請人高橋本人尋問の結果によつては未だ右認定を覆すに足らない。そうして、同申請人が右の各事実により昭和三七年一二月三日当庁において暴行並びに暴力行為等処罰に関する法律違反として罰金四、〇〇〇円の有罪判決を受け、該判決がそのまま確定したことは当事者間に争いない。そうして前示各書証と証人黒田正明(第二回)、星川正延の各証言に弁論の全趣旨を総合すると、被申請会社では、昭和三六年四月労働組合が賃上等の要求を掲げて会社と交渉を始め、翌五月組合は全面的ストライキに突入、会社は工場閉鎖をもつて対抗し、解決の糸口を把めぬまま争議は長期化すると共に、警察官の出動をみたり、会社から組合を相手どつて製品等搬出妨害禁止の仮処分申請がなされるなど、激烈な様相を呈するに至り、とかくするうち従業員の中にも組合の強硬な方針に批判的な者が出て遂に第二組合が結成され、それが一足先きに会社との交渉を妥結させたので、右暴行発生当時には第一組合のピケツトラインを侵して工場内に入つた第二組合員や非組合員が操業を行うに至つていたこと、かような情勢下に工場内の従業員中に発病者が出たので、被申請会社山林課長等が病人を引き取るため工場に赴いたところ、ピケ隊の中に居た申請人高橋が前認定の如き暴行に及んだものである事実が疎明せられる。

そこで、右暴行等の事実が懲戒解雇の理由となり得るかどうかの点を考えるに、その行為自体は一見理不尽で粗暴極まるものの如く見えるけれども、それがなされた際の特殊な情況、特殊なふん囲気を考慮に入れるとあながちそうとばかりも云えない。争議中と云えども暴力行為は厳にこれを慎しむべく、争議行為たるの故をもつて暴力行為が免責を受けるいわれのないことは被申請人主張のとおりであるけれども、一般に労働争議が長期化し激化すれば労使双方とも力を尽くし手段を用いて相争う結果、その対立は非理性的、感情的な色彩を帯び易いものであり、殊に組合がストライキを行つたのに対して会社側が操業を強行しようとするような場合にはピケツトラインをめぐつて暴力的逸脱行為が往々にして発生しがちなものである。本件申請人高橋の暴行についても、同申請人のみならずその場に居合せたすべての者が一種異常な興奮状態にあつたであろうことは推察に難くなく、同申請人は群衆心理に負けたものであると考えられぬこともない。同申請人のみを強く責めるのは酷というものである。

被申請人は暴行の相手方が申請人の上司であることを指摘して、同人の行為は雇傭の信頼関係を破壊したものであると主張するけれども、雇傭契約上の信頼関係は労使関係が平常の状態にある時を基準として考えるべきものであるところ、そもそも労働争議の間においては雇傭の信頼関係は一時的に後退し、双方の対立抗争の関係が表に現れていると云えるのであるから、争議中の行為をそのまま平常時の雇傭関係に持ち込むのは早計というものである。本件暴行が上司に加えられたものであつたというだけで、申請人高橋と被申請会社の平常の雇傭状態における信頼関係が破壊されるに至つたとは直ちに首肯し難いところである。

又、被申請人は右暴行によつて申請人高橋の被申請会社従業員としての品位、信用を傷つけたと主張するが、前認定の暴行事実は刑事責任の軽重という観点からみれば軽微なものであるという外はなく、課せられた罰金も四、〇〇〇円という比較的少額のものであつて、弁論の全趣旨によつて認められる同申請人の被申請会社における業務が単純な肉体的労働を内容とするものである事実をも併せ考えると、本件暴行が双方の雇傭関係の継続を不相当とするほどに同申請人及び被申請会社の品位、信用を傷つけたものとは解し難い。

次に申請人高橋が昭和一二年頃殺人罪によつて懲役五年の刑に服した前歴を有することは当事者間に争いがなく、同申請人が被申請会社に雇われる際右の前歴を秘匿していたことは同申請人において明らかに争わず、証人星川正延、黒田正明(第二回)の各証言によれば被申請会社は本件懲戒解雇の決定をなすにあたり右の事実をも考慮に入れたことが疎明せられる。(申請人高橋は、被申請会社は本件解雇処分当時右事実を知らなかつたと主張するが、右各証言によれば被申請会社は解雇処分の相当以前から右事実を知つていたことが認められ、しかる以上はこれを考慮に入れて解雇処分したものと考えるのが相当である。)そうして、同申請人は右事実は本件解雇の理由としてその当時被申請会社から明示されなかつたから、本件解雇の当否判断の資料となし得ない旨主張するが、前記のように、被申請会社就業規則の解釈上、犯罪行為たる事実があれば直ちに懲戒解雇をなし得るものではなく、それは諸般の事情によつて決すべきものなのであるから、前科の如きも一つの判断の資料として考慮に入れてよいことは疑いのないところである。然しながら、右前科は既に二〇年以上以前のことであり(刑法第三四条の二により既に刑の言渡は其効力を失つているものと思われる)、同申請人が被申請会社に雇傭されてからでも約一〇年を経過しており、その間同申請人が他に暴力犯罪を犯したという事実もないのであるから、右前科があるからといつて本件暴行事実が同申請人の粗暴な性格を現わすものとして特に重大視せねばならないものであるとも考えられない。又、前科のあることそれ自体として考えても、前記のような同申請人の仕事の性質及び前科の古さからいつて、雇傭関係の継続を困難ならしめるほどの事情とは認め難い。

以上の理由により、申請人高橋についても同岡田と同様、懲戒処分としては出勤停止又は減給を撰択すべきであつたもので、本件解雇処分は就業規則の適用を誤つたものとして無効であると一応判断すべきものである。

三、してみると、本件各懲戒解雇は申請人等の不当労働行為の主張に対する判断をなすまでもなく無効であるから、申請人等は現在なお被申請会社の従業員たる雇傭契約上の地位を有し、従つてそれに基く賃金請求権(その金額が申請人山本につき月額金二万四〇七円、申請人岡田につき同金一万六、七四九円、申請人高橋につき同金一万九、三四〇円であつて、支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがない)をも有しているものである。

(保全の必要性)

申請人等各本人尋問の結果によると、申請人等はいずれも本件解雇処分後定職と云えるほどのものに就いておらず、又定職を持たずに生計を維持して行けるほどの資産を有していないこと、そうしていずれも被申請会社の従業員として就労を継続したい意思を持つていることが疎明せられる。かような申請人等にとつて、被申請会社から就労を拒否されている現状が経済的、精神的に著しい苦痛、損害を与えるものであることは見易い道理であるから、本件仮処分の必要性はこれを肯定すべきである。

よつて、本件申請を認容し、申請人等のために被申請会社の従業員たる地位を仮に定めることとし、併せて被申請人に対し、申請人等に対して各自の解雇言渡の日以降毎月二五日限り各自の賃金額(前認定のとおり)相当の金員を仮りに支払わしめることとする。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎順平 南新吾 青野平)

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